第2回「ヒュームとWE」研究会(2023年2月17日 9:00 – 10:00)

比較WE学グループのイベントとして、第2回「ヒュームとWE」研究会を開催します。18世紀スコットランドの哲学者D.ヒュームの哲学に焦点を当て、「ヒュームにとって「よりよいWE」とは何か」を問う研究会です。

日時:2023年2月17日 9:00 – 10:00
発表者:渡邊一弘(獨協大学)
会場:Zoom

タイトル:知的探求における「われわれとしての自己」

 人は親切心や正直さゆえに他者から褒められることがあり、優れた記憶力や判断力も称賛の対象となる。前者の親切心や正直さは道徳的な意味で、後者の記憶力や判断力は知的な意味での長所(merit)であると言うことができるだろう。しかし少し立ち止まって考えてみたい。そこでの道徳的・知的という区別は何に根ざしているのだろうか。ある人の特性(attributes)についてわれわれが評価を下すとき、道徳的な「善さ」と知的な「良さ」(またそれぞれの意味における「悪さ」)の類似点と相違点はどこにあるのだろうか。
 デイヴィッド・ヒュームが『人間本性論』第三巻第三部第四節「自然な能力について」で論じているのは、まさにこの問題である。ヒュームによれば、精神の知的な性質たる自然な能力と、同じく道徳的性質たる(道徳的な)徳との間に、本質的な違いはない。そこでのかれの議論の目的は、道徳的評価が感情から生じるというテーゼをより一般的な自然的徳論の枠組みから説明することにある。それゆえ道徳的・知的な区別は「たんなる言葉の上での」問題にすぎない、という結論になる。
 ヒュームは知的によいとされる様々な特性を「自然な能力(natural abilities)」という先天的な才能(natural endowments)に近いカテゴリーで一括しているため議論の射程を不必要に狭めてしまっているが、知的・道徳的両方の「よさ」を同じ枠組みから説明している点ではなお示唆的である。本報告では「よさ」の帰属可能性(attributability)という概念を軸にかれの議論を整理することで、そこから、われわれ人間の知的探求が実践的生活と同様、つねにすでに「われわれとしての自己」の視点からガイドされているという側面を浮かび上がらせたい。

第1回の開催レポートはこちら

参加をご希望の方は、Smart WEプロジェクト事務局(smart-we.office[at]bun.kyoto-u.ac.jp)までご連絡ください。

目次